古代文明の建築史【紀元前700年〜紀元前300年】その2 – 株式会社東恩納組

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2016年5月31日建築部

古代文明の建築史【紀元前700年〜紀元前300年】その2

こんにちは
工事部のチカラです♪

今回の私のブログでは、前回に引き続き紀元前700年~300年頃の古代文明の建築史についてご紹介させていただきます。

『エピダウロスの劇場』
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紀元前350年頃建造
場所:ギリシャ アルゴリダ

エピダウロス遺跡の中でも有名なこの古代劇場は当時、その美しさやシンメトリー、音響効果、立地条件などにおいておおいに激賞されていました。
総石造りによるギリシア劇場の最初の例の一つで、規模も大きく、直径が118mもあり観客収容数は1万3000人~1万5000人とされています。
屋外で暴雨に曝されてはいても、世界的に見てこの地域の気候は温和なので劇場の設計は改良の余地がありませんでした。
それどころか、このエピダウロスの劇場は近代のすぐれた劇場の多くのモデルとなってきました。
設計はテアトロン(観客席)、オルケストラ(舞台)、スケネ(舞台背景)の三つの部分で構成されており、20.4mの円形状オルケストラの四分の三を半円形のテアトロンが取り巻いてます。
石灰石でできた座席は34列と21列の二層になっており、通路で隔てられ、11もの階段で分けられています。
※座席の21列はローマ時代に増築されている。

この劇場では舞台に落ちた硬化の音が最後部の席でも聞こえるほど、音響効果は抜群だったとされています。
『パナテナイア競技場』※パナシナイコともパナティナイコとも呼ぶ
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紀元前329年頃建造
場所:ギリシア アテネ

このパナテナイア競技場はもともと天然の窪地となっていて丘の傾斜を利用しただけの比較的質素なものでした。
当初は大パナテナイア祭(アテナ女神に捧げられた祭り)のために建てられたとされていてましたが、紀元前566年ごろからは、その祭りの運動競技に利用されるようになりました。
紀元前329年頃に石造りとして建造され、140年から144年にかけてヘロデス・アッティクスによって大理石に建て直されました。
その時に競技場の形は馬蹄形にされ、ドリス式の入口も付け加えられました。※ドリス式につきましては前回説明しましたね☆
トラックは奥行204m、幅33mとなっていて、観客席は階段で分けられていて、収容人数は推定5万人とされていました。
ローマ時代には、この競技場は闘技場として使用され、すさまじい暴力と運動能力を見せる場となりました。
しかし、その後のビザンティン時代、オスマン・トルコ時代に他の建造物に使う目的で、競技場の大理石が持ち去られ、荒廃していきます。
それから月日がたち、1870年にアテナの建築家エルンスト・ツィラーによって発掘され、古代の栄光をそのままに再建されていきました。
1896年には近代オリンピック第1回大会が開催され、2004年には第28回大会が開催されます。
第28回大会ではアーチェリーの会場とマラソン競技のゴール地点として使われました。(女子マラソン、野口みずき選手が一着でこの競技場でゴールし、金メダルを獲りました。)
今現在も使用される歴史ある建造物の一つとなっています。

近代オリンピック第1回大会
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近代オリンピック第28回大会 ※第1回大会より108年後
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約2000年以上も前の建造物が今もなお使われているって、本当素敵ですよね。建築って素晴らしいですね。
ギリシアには魅力ある美しい歴史的建造物がたくさんあるので、私も一建築家として一度は行ってみたい場所の一つとしています。
今回はここまで!!
次回は紀元前300年~紀元初期頃の建築史を記事にしたいと思います。
以上、現場のチカラでした♪