古代文明の建築史【紀元前1300年〜紀元前1000年】
こんにちは☀︎
工事部のチカラです♪
前回の私のブログでも古代文明の建築史(ウルナンムのジッグラト・カルナック神殿)について紹介させていただきました。
今回も古代文明の建築史について記事にしたいと思います。
紀元前1257年頃建造
場所:エジプト アブ・シンベル
アブ・シンベル大神殿はエジプト新王国第19王朝のファラオラムセス2世によって建造されました。
構造は岩山を掘って造られた岩窟(岩あな)神殿となっていてます。
神殿の正面は巨大塔門の形をしていて、壁面には高さ20mを超えるラムセス2世の座像が4体並んでいるのが特徴的となっています。
内部はとても広く、あちらこちらにラムセス2世の像がいくつもあり、壁面にもたくさんのラムセス2世の絵が刻まれています。(ラムセス2世はだいぶ自己顕示欲が強かったみたいです。)
神殿の奥にもラムセス2世を含めた4体の像(アメン神、プタハ神、ラー・ホルアクティ)があり、年に2回(2月、10月)神殿に射し込む朝日が、この神像を数分間照らし出すよう設計されているようです。
その中で、闇の神とされているプラハ神像だけには陽が射さないように造られていると言う事には驚きです。
アブ・シンベル大神殿は建造後、1813年に至るまで長い間砂の中に埋もれていました。
そのためか、保存状態も良かったとされています。
発見後はダムの建設計画により水没の危機にありましたが、1964年〜1968年にユネスコの世界的キャンペーンにより、近くにあるアブ・シンベル小神殿とともに現在の場所に移設されました。
1979年に世界遺産に登録されています。
『エルサレム神殿』
紀元前1000年頃建造
場所:イスラエル エルサレム
エルサレム神殿はソロモン神殿とも呼ばれ、旧約聖書によると、契約の箱(十戒を刻んだ石版を収めたはこ)を保管するために、紀元前1000年頃にダヴィデの子である、古代イスラエルの第3代王のソロモンによって建造されました。
神殿の大きさは長さ約26m、幅約9m、高さ約13mの石造りで、内部にはたくさんの純金が使用されていたといわれています。
しかしその後、紀元前586年に新バビロニア王国ネブカドネザル2世によって破壊されてしまいます。(バビロン捕囚)
紀元前516年には第2神殿として再建されますが、これも西暦70年に起きたユダヤ人による反乱をローマ軍が鎮圧する際(エルサレム包囲戦)に炎上し、破壊されてしまいます。
※上記画像は模型
以後、エルサレム神殿が再建される事はありませんでした。
神殿の西側の外壁と基礎部分が少し残っており、今は「嘆きの壁」と呼ばれ、ユダヤ人の聖地として、今もその姿を残しています。
今回はここまで!
次回は紀元前1000年〜紀元前700年代の建築史を記事にしたいと思います☆
以上、現場のチカラでした♪